私が Google を辞めた理由

(この記事は MSDN Blog JW on Tech に 2012 年 3 月 13 日に投稿された記事の翻訳です)

OK、わかりました。みんなが私の辞めた理由を知りたがっていますが、個別に答えているときりが無いので、文章で説明します。少しだけ目を通しても (要点は第 3 段落に書きます)、全部読んでも構いません。ただし、あらかじめ断っておきますが、ここにはドラマも、暴露も、元同僚に対する非難もありません。また、Google と、ユーザーのプライバシーやソフトウェア開発者に対する Google の方針を巡る最近の報道から既に推察できること以上の内容もありません。これはもっと個人的な話です。

Google を辞める決断は簡単なことではありませんでした。勤めている間、私はかなりの情熱を会社に注いでいました。Google Developer Day のイベントで 4 回、Google Test Automation Conferences で 2 回の基調講演を行い、Google testing blog にも何度も寄稿しました。採用担当者から、優秀な採用候補者に会社を売り込むように頼まれることもよくありました。Google の売り込みを断ったことはありませんでしたし、それができなくなって一番驚いているのは自分なのです。実際、Google に勤めていた最後の 3 か月は、死に物狂いで情熱を取り戻そうと無駄な努力をしていました。

私が情熱を注いでいた頃の Google は、従業員に変革の力をもたらしてくれるテクノロジ企業でした。私が辞職したときの Google は、会社から義務付けられたことだけをやっていればよい広告会社になっていました。

表向きには Google はずっと広告会社であったわけですが、最後の3 年間の大半はそれとも異なっていました。Google は、優れた TV 番組が広告会社をやっている、つまりコンテンツがよければ広告主が引き寄せられるという意味での広告会社に過ぎませんでした。

Eric Schmidt 氏の下では、広告は常に裏方に回っていました。Google は、革新的な工場のように運営され、創立者賞、ピア ボーナス、20% タイム制度を通じて従業員の企業家精神を鼓舞していました。広告収益のおかげで、我々が考え、革新し、創造するための余裕があったのです。App Engine のようなフォーラム、Google Labs、およびオープン ソースは、創造のための足場としての役割を果たしていました。こうしたすべての費用が、広告から得た金がいっぱい詰まった現金預け払い機によって支払われているという事実は、ほとんど誰も理解していなかったのです。実際に広告に携わっていたエンジニアは感じていたかもしれませんが、それ以外の社員は、Google はあくまでもテクノロジ企業であり、優秀な人材を雇い、その革新する能力に大金を投じる企業だと信じていました。

このイノベーション マシンから、Gmail や Chrome などの戦略的に重要な製品が生み出されました。これらの製品は、企業の最下層で企業家精神を発揮した成果だったのです。もちろん、このような革新精神の高まりは失敗作も生み出し、Google はその失敗作を抱えることになりましたが、すばやく切り捨て、そこから学ぶ方法を常に知っていました。

このような環境では、成功するためにどこかの重役の派閥に入る必要もありません。すばらしいキャリアを築くために、運がよかったり、魅力的なプロジェクトにありつく必要もありません。アイデアや貢献できるスキルがあれば、誰でも参加することができたのです。この頃、Google を辞める機会はいくらでもありましたが、これ以上の職場があるとは想像できませんでした。

しかし、ことわざにもあるように、それは昔の話で今は事情が違います。

Google のイノベーション マシンが行き詰まった分野が 1 つあり、この分野が非常に重要であることがわかりました。すなわち、Facebook との競争です。非公式の取り組みの結果生まれたのが、Wave や Buzz といった、ソーシャルとはほど遠い粗悪品でした。Orkut もブラジル以外では流行りませんでした。十分リードしていると確信して昼寝をした「ウサギとカメ」のウサギのように、Google はソーシャルの夢から覚めると、広告で先頭を走ってきたランナーのステータスが脅かされていることに気がついたのです。

Google はまだ、Facebook よりも多くの人々に広告を届けていますが、Facebook はユーザーについて非常に多くのことを把握しています。広告主や発行者は、この種の個人情報を重視しており、自ら Facebook ブランドを自社ブランドより優先させるほどでした。証拠 A: www.facebook.com/nike では、Nike 社のような実力と影響力のある企業が、Facebook の後に自社ブランドを置いています。Google に対してこのようなことをする企業はなく、Google はこれを挑戦と受け取りました。

Larry Page 氏自らがこの間違いを正す指揮を執りました。ソーシャルに全社を挙げて取り組み、Google+ と呼ばれる企業命令となりました。これは、Google だけでは十分ではないかのように感じさせる不吉な名前でした。検索はソーシャルである必要がありました。Android もソーシャルである必要がありました。かつては独立していて楽しかった YouTube も…おわかりですよね。さらに悪いことに、イノベーションもソーシャルにする必要がありました。Google+ を世界の中心にできないアイデアは、邪魔者扱いされました。

突然、20% タイム制度が能率の悪さを意味するようになりました。Google Labs は閉鎖されました。App Engline の料金が値上げされました。長年無料だった API が非推奨になったり、有償提供になりました。企業家精神の象徴が取り除かれると、“以前の Google” と、その Facebook に対抗した貧弱な試みを嘲笑する声が露わになり、“主力製品により多くのリソースと労力を集中させる” ことを約束した “新しい Google” が正当化されました。

優秀な人材を雇い、未来を創造する力を与えていた、以前の Google の日々は過ぎ去りました。新しい Google にはもちろん、未来がどのようになるかわかっていたのです。従業員が間違っていれば、企業が介入して再び正しい道に戻してくれるのです。

Google は正式に「Web での共有は機能していない」と宣言し、Google+ を修復するには社員の知力を総動員するしかないとしました。神聖な牛を進んで犠牲にして企業を称え、その才能を結集して、そのビジネスに対する脅威に対抗する必要があるのです。Google が正しかったのであれば、その努力は高潔なものになったわけであり、私たちの多くは間違いなくその結果に貢献したいと思っていました。私もそれに賛成でした。開発ディレクターとして Google+ に取り組み、かなりのコードを世に送り出しました。しかし、世界は変わりませんでした。共有も変わりませんでした。私たちのおかげで Facebook が改善されたかどうかはわかりませんが、より高くなったレビュー スコアを示せば十分でしょう。

後からわかったことですが、共有は壊れていませんでした。共有は順調に機能していて、単に Google が必要とされていないだけでした。周りの人々はみな共有しており、まったく幸せそうに見えました。Facebook からのユーザーの流出は実現しませんでした。私の 10 代の娘でさえ、Google+ に二度と目を向けることはありませんでした。「ソーシャルは製品じゃないの」と、私がデモを見せた後、彼女は言いました。「ソーシャルは人々で、人々は Facebook にいるの」。Google は、自分がパーティに招待されなかったことがわかった後、仕返しに自分自身のパーティを開いた金持ちの子供でした。Google のパーティには誰も来なかったという事実に、誰もが見て見ぬふりをするようになったのです。

Google+ と私は、こうなる運命だったのです。実のところ、これまで広告にはあまり関心がありませんでした。私は広告をクリックしません。電子メール メッセージに入力した内容に基づいて Gmail に広告が表示されると、ぞっとします。検索結果に Google+ の投稿者の大言壮語を含めてもらいたくありません (ついでに言えば Facebook や Twitter の検索結果も要りません)。“ロンドン パブ ウォーク” で検索したときに、 “ウォルマートでロンドン パブ ウォークを買う” というスポンサーの提案よりもまともな結果が欲しいのです。

以前の Google は、優れたコンテンツがあったので広告で財を築きました。かつてのテレビと同じで、最高の番組を作れば、コマーシャルから最高の広告収益を挙げられたのです。新しい Google は、コマーシャル自体をより重視しているようです。

おそらく Google は正しいのです。未来は、人々の私生活についてできるだけ多くを知ることにかかっているのでしょう。たとえば、母親に電話をかけるべき時期や、Nordstrom デパートのセールで買い物をすれば私の生活がもっと良くなることを、Google が適切に判断してくれるかもしれません。自分の予定表のすべての空き時間について口うるさく言われれば、もっと頻繁に運動するかもしれません。14 歳の息子とそのガールフレンドの別れ話について電子メールを書いているときに離婚弁護士の広告が表示されれば、その広告に従って自分の結婚を終わらせてしまうかもしれません。さもなければ、このようなことはすべて自分で解決するでしょう。

以前の Google はすばらしい職場でした。新しいGoogle はどうでしょうか?